Diary

2013年10月05日(土)

神様は不公平。(マタイ・20章・8節より)

大人のビジネス寓話 二階堂武尊

神様は不公平。 (マタイ・20章・8節より)

 大昔、ある村のぶどう園のお話です。
 ヨゼフとひとり息子のイザクは村のはずれのほったて小屋に住んでいました。
 ふたりはとても貧乏で、毎日、ひとかたまりのパンを半分に分けて、仲よく暮らしていました。
「お父さんの方が大きいんだから、半分こでは不公平だよ。もっとたくさん取っていいよ」
 イザクはお父さんがおなかがすいているのではないかと、いつも心配していました。
「イザクよ、かわいい息子よ。父さんはいつも神様から元気をもらっているから、おなかはそれほど減らないんだよ。さあ、今日も朝のお祈りをしよう」
 ふたりはひざまずき、今日一日、健康に暮らせるように祈りました。

 ヨゼフとイザクは村で評判の正直者でした。
 そのおかげで、みんなにダマされたり、バカにされることもありました。
 お人好しのヨゼフは、村の人たちに裏切られても、文句は言いませんでした。
 イザクはそんな父親をとても尊敬しています。自分も父のような大人になりたいと心から願っていました。

 ある日、村に新しい牧師さんがやってきました。
 ひの牧師さんは「神の国のぶどう園」という農園をはじめました。
 このうわさはヨゼフの耳にも届きました。
 なんでもこのぶどう園では、母子家庭のお母さんや、老人、病人なども分け隔てなく、働かせてくれるというのです。

「まさに神の遣いだ」
 ヨゼフはこの牧師さんの寛大さに心を打たれ、さっそく息子のイザクとぶどう園を訪れました。

 朝一番乗りで、ぶどう園に着くと、牧師さんは焚き木をして、入り口でみんなにふるまうスープの準備をしていました。
「ようこそ、わがぶどう園に」
 牧師さんはふたりにスープの入った椀を差し出しました。
 ヨゼフとイザクは、牧師さんのあまりの親切さに涙を浮かべながら、スープをすすりました。
「今日一日働けば、あなたがたふたりに五デナリオンずつ差し上げよう」
「この小さな子にも、五デナリオンいただけるのですか」
「もちろんです」
牧師さんは穏やかに微笑みました。
「一生懸命、働きます」
 ヨゼフは頬を輝かせました。

 ぶどう園の評判は村中に広がり、ヨゼフのほかにも貧しい連中が集まってきました。
 午後になると、人々はますます増え、夕方までぶどう園を訪れる人々の列が後を断ちませんでした。

 ヨゼフはちょっと心配になりました。
 こんなにたくさんの人が来たら、自分がもらうお金が減ってしまうのではないかと、不安になったのです。

 でも、その心配はいりませんでした。
 夕方、ヨゼフとイザクは約束通り、牧師さんからそれぞれ五デナリオンを受け取ったのです。

 ところが、イザクはもぞもぞとした態度で、不満そうな表情を浮かべていました。
 イザクは見てしまったのです。
 牧師さんの前に並ぶ列の後ろの連中も五デナリオンを受け取っているのです。
「お父さん、あの人たちは、夕方来て、一時間しか働いていないよ。なのに、僕らと同じ五デナリオンを受け取っているよ。僕たちは一日中、一生懸命働いたのに」

 ヨゼフは困りました。
 自分もまた息子のイザクと同じことを考えていたからです。
 ヨゼフは思い悩んだ末、その夜息子を連れて、牧師さんに抗議にでかけました。ヨゼフが他人に文句を言ったのは、彼の人生でただ一回のことでした。

「牧師さん、あなたは間違っていませんか。人は努力した分にふさわしい報酬を受け取るべきです」
 すると牧師さんはやや困った顔をしたあと、微笑んで言いました。
「ヨゼフさん、たしかにあなたがたの世界ではそれは正しいでしょう」牧師さんはやさしく語りかけました。「でもここは神の国のぶどう園なのです。神様は時間や量で人間を判断したりはしないものですよ」
「でも、私たちは生身の人間です。時には、人を憎むことだってあります」
 ヨゼフは反論しました。
「それはそうでしょう。神に仕える私だって同じです。でも、憎しみ合う人々だけでは、世の中は成り立ちません。どっちが正しい、何が公平かと文句を言う前に、神様がなぜ、みんなに五デナリオンを与えたか、その意味を考えるべきです。いや、あなたがなんと言おうとも、神様は善人にも悪人にも必ず五デナリオン与えるものなのです。あなたの不平は天には届きません」
「そんな世界はいやだ」
 ヨゼフはつぶやきました。
「では、あなたはこれからも、そんな大嫌いな世界で生きていくおつもりですか」
 牧師さんの問いかけに、ヨゼフはちょっとためらって、吐き捨てるように言いました。
「もう、まっぴらです。こんな不公平な世界は。来る日も来る日も働き詰めに働いて、でもその成果は誰にも認められず、おまけに楽をした人の方が得をする。こんな不公平な人生はもうまっぴらなんです」
「そうですか。では、いま、あなたにできることは何でしょう。楽をして得する人たちを憎んで暮らすことですか。それとも、みんなに同じ金額を払う神様や私を糾弾することですか」
「・・・・」 
「今日の五デナリオンで、パンを買って帰りなさい。そして、明日も朝一番から五デナリオンを得るために、ここに来なさい。そこにこそ、あなたができること、あなたという花が咲く場所があるのではないでしょうか」
 ヨゼフは雷に打たれたようにしばらくそこに立ち尽くしていましたが、やがて牧師さんに深々とおじぎをして、立ち去りました。

「お父さん、ぼくは牧師さんの言っていることがわからなかったよ」
 夜空には星がぎっしりと輝いていた。
 ヨゼフはイザクと並んで道を歩きながら、息子の手をぎゅっとつかみました。
「イザクよ、明日も早起きできるかい」
「神様が望むなら」
「うん、よい子だ」
 ふたりは手をつないだまま、パンを買うのも忘れて、無言で家まで歩きました。

【解題】

 みなさんにとって、神様とはどういう存在ですか。

 すべてが正しい人。

 そんな風に考えるのが妥当でしょう。
 でも、「正しい」って、何でしょうか。
 人は自分にとって都合のいいことをとかく「正しい」と言う傾向にあります。
「聖なる戦争」とか「正しい国政」とか、世の中ではいろんなことを言いますが、たいがいは、自分にとって好都合なものを、なんとか屁理屈をこじつけて「正しい」と呼んでいます。
 ところが、神様は人間の判断による「正しさ」なんてまったく念頭にないのです。自分が造り出した人間ですが、人間が地上界でわーわー騒いでいることなんか、神様はおかまいなしです。
 神様は私たちが想像することを遥かに超えて、「正しさ」を追求しています。
 そんな神様が地上におりてきて、「自民党は正しい」「アメリカは正しい」なんて、ジャッジを加えたら、世の中、ますます暗黒時代になってしまいます。

 主人公のヨゼフは、お人好しだけに、損をする、間抜けな男です。実直ではありますし、敬虔に神様を愛していますが、神様の真意はまったく理解できていません。
「自分の努力に見合った報酬を」というのは、なんだか現代の我々の発想にも相通じるところがあります。
 でも、残酷なことをいいますが、神様はヨゼフの努力などぜんぜん関心がありません。ヨゼフが努力したから、今日は十デナリオン授けようなんてことも絶対しません。
 そんなことをしたら、神様は神様でなくて、村長ぐらいの尊厳しか持てません。
 私たちがこの寓話で問われているのは、世俗のちっちゃい物差しは捨て、ただひたすらに、自分の花を咲かせることを大切さです。そうやって、咲いた小さな花は自然と神様の大宇宙と融合していくものなのです。
 みなさんも、つまらない常識、つまらない人間の尺度にとらわれて、自分を見失ってはいませんか。

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