Diary

2012年10月17日(水)

「おれ」とか「私」にとらわれるな

やほやほー。

関東地方は台風ですな。

柄にもなく、アリストテレスの『形而上学』を
読んでおります。

「普遍的なものは感覚から最も遠くにある」

ワケのわからん言葉ですが、
かっこいい言葉ですねね。

私なんぞ、
「どちらかと言えば、感覚派」とか、
「感覚を大事にする」などとほざいたりしますが、
この本を読むと、感覚にただ溺れている人は、
真理の高みへはのぼれないことがよくわかります。

やっぱり生きて、思考している以上、
物事の原理とか仕組みについて、
考えられる人が、強いのだなあと思います。

たいへんおもしろい書物です。

仏教の世界で言えば、
ブッダは、世界は「縁起」でできていると言います。

「縁起」ってなんだ?

それは、物事は単独では存在せず、
お互いが相互に影響し合って、存在しているということです。

だから、「自分」なんてものも、仮の姿であり、
本来は存在しないのです。

「おれに言わせれば」
「おれ的には」
「おれ流」
「おれのこだわり」
「おれのスタイル」

などというものも、
たまたまからみあったいろんな出来事が、
相互に影響しあって生じた仮の姿でしかないのです。

だから、何が言いたいかというと、
そんな「仮のおれ」にこだわって、
はしゃいだり、落ち込んだり、不安になったりするのは、
おろかなことだということです。

アリストテレスのいうところの、原理を知るとは、
なんかブッダがその冷徹な視線で、
世の中の原理は「縁起」であると、
言い切ったのに、似たような感動がありました。

心配しなくていいですよ。

世の中は移ろい行くものです。

いまが不安でもそれは一時のもの。

いまの「自分」とやらにとらわれて、
落ち込んでいると、
お釈迦様に笑われますぞ。

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