Diary

2012年09月21日(金)

シアワセの感覚

涼しくなってきましたな。

玄関の戸に、小さなバッタがとまっていましたが、
こいつももうそろお陀仏か、と思ったら、
ちょっぴり悲しい気分になりました。

ところで、あなたはどんなときに、
「シアワセ」を感じますか。

風呂上がりのビール。
デートの帰りに電車の中でかわすメール。
悲願の試験をパスした合格通知。

けっこうけっこう。
そりゃ、うれしいですよね。

しかし、それらがうれしいのも一瞬。
すぐさま新しい不安でアタマがいっぱいになるのが人間です。

人生は、やっぱり基本的に苦しい。
夢はあるけど、それがかなうのは、まれ。
もしかなっても、すぐにそれを失う心配がはじまる。

きりがないですね。

私も今日は、ある出来事で、
自分の無力さを痛感しました。

出来事とは、私の病気のことなんですけど、
病気が苦しくて、もう人生をおしまいにしたいと思ったくらいです。

でも。

とことん、苦しくて、
自分でどうしようもないと思えたそのあとに、
私はいつも小さな光明を得るのです。

もうどうしょうもない。
これ以上はどうすることもできない。
限界だ。

そこまで人間、思い詰めると、
私は、神の存在を感じることができるのです。

仏、といってもいいでしょう。

人間、追いつめられ、とことん、自分の無力さに直面しても、
まだ、それでも生きていられるのです。
まだ、それでも生きたいと思う力が残っているのです。

人生のゼロ地点に堕ちても、いえ、マイナス地点に至っても、
まだがんばる力が残っているのです。

がんばる、というとちょっと違います。

何者かに生かされているという実感を得ることができるのです。

それを私は、「有り難い」こと、つまり奇蹟であると実感できるのです。

私はそれを「シアワセ」と呼び、
冒頭で例を出した楽しみを「快楽」と呼んで区別しています。

大丈夫。あなたにはまだまだ力が残っていますぜ。
心配しないで、どっぷり、絶望しましょうよ。

どん底、上等。

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