Diary

2012年09月16日(日)

宗教があれば、誰でも人は救われるのか

いやー、どうも。

夕べは、地元の赤絨毯の古風なスナックで飲みました。
かなりお客さんが高年齢層だったので、
友人と私も、クールファイブなどを熱唱し、
昭和のハプスナックを満喫しました。

さて、宗教を毛嫌いする人はわんさかおります。
結論から言うと、嫌いな人には、
宗教的素養というか、センスがないから、
やらんでよいでしょう。
別に、それでも十分、楽しみ、苦しみ生きていけますから。

では、宗教的センスとは、なんでしょうか。

これはたいへん難しい問題です。
よく弱い人、罪深い人は、宗教にハマりやすいなどと
のたまう人がいますが、これは違っていますな。

宗教的センスとは、こっちが努力して得られるものではありません。
滝に打たれて修行しても、
慈善事業に精力を注いだからいって、
あの世で成仏するとは限りませんぜ。

宗教的センスとは、人間の側から沸き起こすものではなく、
浄土の方から、その人に光が降りてきて、
その光に包まれたとき、人間は本当の信心を得られるのだと思います。

そういう光に包まれる人と、包まれていない人がいるのは、
これはどうしょうもないことだと思います。
努力とか向上心でなんとかなるものではありません。

それでもなんとか、私として、一生懸命説明するならば、
意図的でなく無心な人、
自分の無力さを腹の底からわかっている人などには、
静かに光が降り注いでくるような気がします。

仏の世界では、人間の考えるレベルの、
平等とか、自由とかそういうのは、ありません。

われわれが想像するその外側も包み込んで、
仏の世界は無限に広がっているのです。

あー、しかし、たまらん。二日酔いだ。

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