Diary

2012年09月09日(日)

喫茶去〜茶ぐらいバシッとしばかんかいっ!

あなたは日常飲んでいるペットボトルのお茶などの
旨味を感じたことがありますか。

なんか、有名な先生が作っているお茶だと言われても、
ただのペットボトルの茶です。味なんかわかんないでしょう。
仕事の合間に、なんか適当に水分補給と称して、
お茶だのコーヒーをぐびっとがぶ飲みやっていませんか。

でも。その瞬間、って、実はあなたは死んでいるのです。

味も味あわずに、ペットボトルの飲み物を流し込んでいるときは、
人間として死んでいるのです。
人は「未来」も「過去」も生きられません。
そのいまの行為をおろそかにしては、過去も未来もありません。

生きているのはいまだけなんです。
そのいま、仕事でイライラして、味もわからないお茶を流し込み、
あたまは妄想や不安でいっぱい・・・。
唐の時代の有名な禅僧・趙州和尚は来る客、
来る客に「喫茶去」(きっさこ)と言っていたようです。
まあ、「茶でも飲みなはれ」という意味です。
有名な禅僧ですから、せっかく会いにきた修行僧たちは、
「仏とは何か」とか「人生の目的は何か」とか、
シリアスな問題を抱えてくるのでしょう。
そんな人たちに「まあ、茶を飲め」とは、愉快な肩すかしです。 ある意味、「茶でも飲んで、リラックスしなさい」と言っているようですが、
私にはそれだけとは思えません。

出された茶をきちんとうまそうに飲むか飲まないかで、
趙州和尚は人を見ているような気がします。
茶ぐらいまともに集中して飲めないヤツに、
何が仏だ、と言っている気がするのです。
くりかえしになりますが、人間は「いま」しか生きていません。
いま、この瞬間をしっかり生きていないのなら、 あなたはもう死んでいるのです。

必死であじわいなはれ。

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