Diary

2017年01月08日(日)

マルチユニバースと輪廻のふかーいカンケイ

『法華経』には無数の宇宙が存在していると書かれているような気がします。
いわゆるマルチユニバースというやつですね。

自分が生きている世界はひとつの宇宙です。
この宇宙のほかに宇宙が無数にあるというのです。

信じられないような気がします。

でも、この仕組みが少しわかったような気がします。

たとえば、私が今日、宝くじが当たったとします。
これは私が選び取った「現実」、つまり私が選び取ったひとつの「宇宙」です。
しかし、今日、私は今日、宝くじを買わなかったとします。
これは私が選び取った別の「現実」、つまり私が選び取った別の「宇宙」です。

そういう無数の選択肢が存在します。
ですから、宇宙の可能性というやつは無限大なのです。

しかし、私はひとつの宇宙しか選べないと、考えるでしょう。
私が宝くじに当たらなかったら、大金持ちにならない人生が繰り広げられます。
しかも、この人生のストーリーは結末まで決まっています。
つまり未来は確定しているということです。

世界には無限の可能性があるはずなのに、
もし私がこの宝くじが語らない貧乏人のストーリーに、
不満を持ったり、疑惑を持ったりすると、
本来、宇宙は無限大の可能性があるはずなのに、
そのストーリーの中に落ちて行ってしまいます。
要するに、そのストーリーの中に埋没してしまうのです。
そのストーリーの牢獄に閉じ込められてしまうのです。

つまり、マルチユニバースの世界を渡り歩いて、生きられなくなってしまうのです。

これが、「輪廻の輪の中に落ちる」ということです。
輪廻の中に落ちるというのは、
ひとつの宇宙の中で、
本当の宇宙を見られずに、もがき苦しんで死んでいくということなのです。

お釈迦様はこの「輪廻の輪」から超越しました。
それは、そのストーリーに陥らずに、
宇宙の可能性の無限大であることに気づいたということです。
人はそれを「悟り」と呼ぶのかもしれません。

宇宙の可能性が無限大であることを、
はらわたから了解することが、
つまり、自由に生きるということです。

宇宙に対して、疑念を抱くのはとても恐ろしいことです。
宇宙は万能です。
この万能な宇宙を賛美することから、
私たちの人生は変わっていくはずです。

2017年01月05日(木)

最高にクールなデクノボー

「なんぴとも過去や未来を失うことはできない。

人が失いうるものは現在だけなのである」

ローマの哲人皇帝・マルクス・アウレーリウスはいいます。

私たちは過去を失うことができるでしょうか。
過去は単なる記憶の集積です。
過ぎ去ってしまったものをもう一度、失うことはできません。
失っているとしたら、過去を悔やんで嘆いている「現在」の時間そのものです。

私たちは未来を失うことができるでしょうか。
未来とは単なる不安と妄想です。
訪れていないものをもう一度、失うことはできません。
失っているとしたら、未来について思いを巡らして震えている「現在」の時間そのものです。

過去や未来は「思い」でしかないのです。
しかも、「現在」という、私たちがたったひとつ持っている時空間を浪費して。

私たちはほとんどの時間、過去か未来のことを考えて生きています。
よく自分を観察してみるとわかります。

あなたはいま、何を考えていますか。

失ってしまった恋人のことですか。
未来のお金の心配ですか。

私たちは人間です。
過去や未来に囚われて生きています。
私たちは過去や未来の「奴隷」です。

そんな奴隷が、一瞬、牢屋を脱獄できる時間があります。
それが「現在」です。

あなたが恋人と笑い合っている時間。
子どもと戯れている時間。
スポーツや趣味に熱中している時間。

それはあなたにとって、唯一、
過去や未来から自由に解き放たれる瞬間です。
それを仏教では、「無心」と呼びます。

人が幸せに生きるとは、
つまるところ、この「無心」を体験し続けることです。
それを禅の世界では、
「いまにしがみついていろ」などと言います。
瞑想も「いまにしがみつく」ためのレッスンの一つでしょう。

かっこわるくてもいい。
バカだと言われてもいい。

いまだけにみっともないぐらいにへばりついている人間でありたい。
他人から見れば、愚直にみえるかもしれない。
「デクノボー」と笑われるかもしれない。
でも、そんな「デクノボー」がいま、
最高にクールに見えるのです。

Archives

Copyright (c) 2012 NIKAIDO TAKERU. All rights Reserved.