Diary

2012年10月30日(火)

人間は、単に感覚の連続体なのだ

寒くなりましたね。
夏は水槽で暴れていた、我が家のカメもすっかり動きをとめ、
省力モードになっています。

今日は少々、小難しく思える話を。

でも、実はシンプルな話です。

思うに、みんな「私」「私」と言いますが、
いつも言っているように、
「私」というものは、
実体がないワケであります。

いつもは「私」なんてものは、
「仮の姿」だと言っていますが、
今日は別の言い方をします。

「私」というものは、
過去から蓄積されて綿々と積み重なっているものと考えがちですが、
実は、一瞬、一瞬の意識の連続体でしかないのです。

「痛み」とか「悲しみ」とか「不安」とか、
そういうものは、そのときそのときの感情のひとつの姿でしかなく、
ある意味、脳内の電気信号の一瞬の流れでしかないのです。

それを「私は悲しい」とか「私は不安だ」などと考えて妄想することから、
人間は気が狂ってくるのです。

「私」などありません。

感覚がパッパッとあたかも点滅するかのようにして、
流れ続けているだけなのです。

思い悩む必要はありません。

私たちはただその意識の流れを、
傍観するだけでいいのです。

「あ、おれ、いま悲しんだ」
「あ、私、いまも妄想した」と
自分を観察していればいいんです。

それだけでも、私たちはずいぶん楽になれるはずです。

 

2012年10月28日(日)

自分のことばっか考えるのは自殺行為

前にもちょいと書きましたが、
「自分」というヤツについて少々。

自分はなんで不安なんだろう。

なんて、人はよく考えます。

自分は不安で、明日、会社に行くのがつらい。

なんてことも考えます。

般若心経的に言えば、
自分というものには、実体がないんです。
つまり自分というものは存在しないんです。

なぜかといえば、
自分というものは、
さまざまな条件や環境が作用し合って、
たまたま生じている仮の姿でしかないのです。
条件や環境は日々変化していき、
それと同時に、「自分」と呼んでいる意識も、
つねに流されています。

だから。

いまの状況を嘆いて不安になっても仕方がないのです。
いまの気分の状態は一時的なものでしかありません。
なにしろ、自分は絶対的なものでなく、相対的で移り行くものですから。
ところで、人間、ちょっとしたことで気分が変わることがあるでしょう。
iPodで聴いた音楽がなんだか心地よかったとか、
今日のカレーはうまかったとか。

だから。

いま、この時点で、自分というものを絶対視して、
それが永遠に続くかのように錯覚して、
いまの現状に不安や不満を持つのはばかげているのです。

それよりは。

もしいま、不安でいっぱいなら、
何か手を動かしてみましょう。
誰かのために何かをする。
誰かに優しい言葉をかけてみる。
洗濯をしてみる。
本屋やCDショップをながめる。
隣町の喫茶店に行ってみる。

なんでもいいですよ。
とにかくいまの気分を変えることです。

不安は連続すると悪魔になります。
一度、不安を遮断する、不安の連続を断ち切りことから始めましょう。
いったん、不安を断ち切ると、心が軽くなります。

ああ、なんだ、考えてみれば、
たいしたことねーじゃねえか、
と気分がくるっと変わるのです。

話をまとめると、
自分は仮の姿で実体がない、
だから自分が生み出す不安にも実体がない、
つまり実体がないものに、実体があるかのように思いを巡らすのは、
もっともいけない自殺行為なのです。

世界に目を向けましょう。
世界を観察しましょう。
他人に優しくしましょう。
自分のことを考えるのもしばらくやめときましよう。

2012年10月24日(水)

弱い人間が卑怯に生きるの上等の件

どもども。

みなさん、ご自分のプライドにかけて、
こういうことだけはしたくない、ということがあるでしょう。

私にもかつてはそういう関門がたくさんありました。

しかし、私は、持病がある上、
ダメダメな人間でして、
これだけはしたくないということを
山ほどしてきました。

そのときはプライドがズタズタになって、
もう生きていることすら、イヤだと思うのですが、
どっこい人間は強いものです。

いくら自分のプライドが傷ついても、
なかなか死んだりしないものです。

人は時には、ずるくなったり、卑怯になったりして、
そういう自分に自己嫌悪を感じて、つらくなることはありますが、
大丈夫です。

少々、ずるくても卑怯でも人間は生き延びられるのです。

弱い人間は、建前だけでは生きてはいけません。

ずるくても卑怯でも、卑屈になっても、生き延びる、
ただそれだけを考えればいいのです。

みっともないの、上等。這いずり回るの、上等。

それが弱い人間が生きていく唯一の方法なのではないでしょうか。

2012年10月22日(月)

絶望してなおかつ生き抜く命

ちわ。

社会的に誰にも必要とされていない。

自分が消え去っても、社会的には誰も悲しむ人がいない。

消え去ったことすら、気がつかれない。。

私は、現状、そんな立場にいます。
詳しい状況を語っても、
みんなげっそりするだけだから、割愛します。

でも。

そんな自分でも、まだ息をして、
心臓が鼓動して、
希望がなくても、生きています。

絶望という言葉は、よく耳にしますが、
本当の絶望って何でしょう。

誰にも求められなくても、
まだ人は生きていけます。

大丈夫ですよ。
死なないということは、
どこかに希望を持っているということです。

生きているだけで十分。
それが存在価値だと思います。

人はもう駄目だと、思ってもなおかつ、
がんばる力を宿しています。

まあ、明日も気楽に生きましょうや。

ほんとに、大丈夫。
不安で孤独な人間がここにもいますぜ。
手を取り合って、明日も生き抜きましょうぜ。

2012年10月21日(日)

恐ろしき「自分」という病

どーもどーも。

今日は私のみっともない話を。

最近、自分のことばっか考えていました。

自分の不安の原因は何か、とか、
自分はいったい何をしたいだ、とか。

「ロックンロール般若心経」では、
自分には実体がないので、
自分について考えるのは愚かだ、
と書きました。

これは究極の真理です。

実体のない自分について、
あーでもないこーでもないと、
思いを巡らせていると気が狂います。

だから、私たちは自分のことを考える暇があったら、
他人のことを考えるべきなのです。
世界に思いを巡らせることです。

私は、アクション映画やサスペンス映画は見ません。
でも、今日はあえて「ミッション・イン・ポッシブル」などを見てみました。

たまにはいいですね、エンターテインメント。

映画の中には、
我々を楽しませる仕掛けが一杯あって、
作っている人たちの情熱を感じました。

こういうことはかっこ悪いので言いたくないのですが、
自分というものには、実体がない、
考えるのは自殺行為だ、などと叫んでいる私でも、
つい気を許すと自分のことばっかり考えているのです。

気をつけなくてはなりませんな。
油断してはなりません。
心は魔物です。

つい自分のことを考えたくなったら、
娯楽映画でも見るか、
自分の部屋の整理整頓でもするか、
草野球でも観戦にいきましょうや。

知的な人ほど、自分というものに、
ついキモチが言ってしまいますが、
いいことありません。

実家のお母さんに「元気?」と電話してみるとか、
自分がまったく関心のなかった本を手にしてみるとか、
いつもは読まない新聞のコラムを読んでみるとか、
いつもはやらない行動をしてみるのもテですな。

私たちはいつも「自分病」と格闘しています。

まずは、手を動かすことです。
カラダを使うことです。

いったん「自分」という魔物から離れてみると、
見えてくる景色が変わってくるものです。

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